異界を渡る物語 序



 その昔、世界の始まりには、ただ、ひとりの神だけが在りました。

 世界とその神とは同時に生まれ、神が世界を生んだと同時に、世界が神を生みました。
 神には姿がなく、存在だけがそこにありました。神は生まれ落ちたそのときに、自らが神であることを知り、そしてその役割を知りました。
 神の役割とは、想像、即ち創造でありました。

 神は、何もない暗闇に、美しい風景を思いました。空が、海が、大地が次々に生まれました。空には太陽と月と星が浮かびました。

 形が出来上がると、生命を生み出し、ひとつずつ世界に落としてゆきました。
 ある生命は大地に根付き緑となりました。ある生命は獣になって地を走りました。またある生命は鳥になり空を羽ばたき、ある生命は海に落ち魚になりました。

 やがて世界が生き物で満たされると、最後に考える生き物を創り、彼らに言葉を授けました。

 人は神に与えられた言葉によって互いに知恵を高めあい、様々の能力を得ました。文字を生み出し、詩を詠い、楽を奏で、呪(まじな)いや占いを覚え、その栄えることは目覚しいばかりでした。

 神は、素晴らしい文化を築いた人という種を大いに気に入り、姿なき自らに、人とおなじ形をつくりました。そして人をはじめとした生き物たちの住む世界を人界と呼びました。対して人には決して辿り着けぬ神界と称した地を新たに創り、そこに住まうことにしました。

 神界にはひとつの泉がありましたが、それは新たな神の生まれる泉でした。神は、世界を導く為、多くの同胞を必要としたのでした。はじめに双子の死の神が生まれ、その後、恋の神、力の神、美の神、豊穣の神など、様々の新たな神が誕生しました。新たな神々は、しばしば人界を訪れては、時に恵みを与え、時に裁きを下しました。

 それらの神々に、僕となるものを与えようと、始まりの神は一本の樹を作りました。その樹は様々な花を咲かせ、そのたまごのような実からは、人界には生まれない生き物が生まれました。空飛ぶ竜や、立派な角を持つ馬や、虹色の鷹などでした。そうして生まれた生き物たちは神の従者となるのでしたが、彼らは人の姿と生まれついた姿とを自由に行き来する力を与えられていました。
 また、そうして生まれた従者のほかに、神々は人界を訪れた際、本人の同意の元に、美しい子どもや善良な子ども、あるいは哀れな子どもを連れ帰って従者にしたのでした。それらの子供たちは、成長し力を認められると、人の姿のほかに第二の姿を与えられ、やはりどちらの姿でも自由に取ることが出来るようになったのでした。

 神界には数多の神々とその従者が住まうようになりました。すべての始まりの神は、神の中の神とも言うべき存在として神界を統べ、そのもとで数多の神々が人界を導き、世界は何もかもが美しく調和していました。

 万物は、神がそう想った為にそのように在るのであって、元始の世界、神の意にそぐわないものはひとつとしてありませんでした。

 ある時、人界、神界ともに恙無く栄える中、気まぐれから子を産むことを思いついた始まりの神は、掌から新たな神を生み出しました。それは愛らしい女の赤子でした。はじめから若く力みなぎる姿で生まれてきた他の神々と違い、弱く小さい赤子の姿で誕生したので、我らのいとし子と呼ばれ、大切に大切に、皆に愛しまれました。その愛くるしい姿に誰もが魅了され、蝶よ花よと持てはやしました。

 ニーロニィと名づけられたいとし子が、やがて乙女へと成長すると、彼女の持つ美しさにいくつもの名が贈られました。黄金の華やかさと白銀の慎ましさを併せ持った、一番星の光を紡いだ髪の輝きはキーニア、高貴な宝石の紫色をした瞳のきらめきはメイリス、鈴のように美しく、けれど鈴よりも甘い麗しい声はウィシュ、愛らしい可憐な足音はエルタリクなど、様々に呼ばれ、讃えられました。

 愛と親しみとを常にその身に受けて、健やかに美しく育った神の娘は、穢れを知らない純白の乙女として、神界での日々を過ごしました。



前頁 / 目次 / 次頁

2008.05.17 公開