雨の水曜日堂 3



 ぽかん、という表現がとてもしっくりとくる驚きの顔を浮かべたまま、フュラニは足を踏み入れた店の中に突っ立っていました。ついこの前来たばかりの雨の水曜日堂と、店内の様子があまりにも違い過ぎたのでした。
 壁一面の棚に納められていた怪しげな骨董品のようなものに代わって店を埋め尽くしていたのは、面食らうほどきらびやかなドレスでした。宝石のような輝く何かを散りばめたもの、細やかな刺繍の施されたもの、幾何学模様の派手なもの、花柄の素朴なもの、光沢のあるものないもの、つくりの凝ったもの単純なもの、とにかく多種多様、ありとあらゆる服がずらり勢ぞろいしていました。カウンタ横の帽子掛けには羽飾りつきやらリボンつきやらの帽子が色とりどりに飾られ、その横の棚には更に豪華な、いったい誰が被るのかと思うほど飾り物が山盛りになった帽子も鎮座していました。他にも首飾りは銀の清楚な鎖から肩の凝りそうな大きな石の連なったものまで、靴はつま先の円い編み上げ靴からとんがった踵の高い華奢な靴まで、更には指輪、腕輪、耳飾り、髪飾りなど、身を飾る為のものが豪華絢爛、所狭しとばかりに並べられていました。
 ああ、なんだか、ここに関わってからいつもこんな間抜け面を披露する羽目になっている、と、情けないような遣る瀬無いような、ちょっとげんなりした気分になりました。
「なあにこれ。いつからこんなになったの」
「ここは最初っからこんなですよ、お嬢さん」
 急に後ろから両肩に触れるものがあって、フュラニは飛び上がるほど驚きました。そう言えばナナシとの出会いもこんな具合だったと片隅で思いながら、叫び声だけは辛うじて飲み込んで身体ごと振り返ると、そこにはナナシでなく見知らぬ壮年の男性が立っていました。
「ようこそいらっしゃいました、金の風切り羽根堂へ。いや、何処ぞ他の店と間違えましたかな?不本意ながら姉妹店も多いもので」
 男は別段飾り立てた格好をしているでもないのに、ひどく華やかな雰囲気を持っていました。すっきりとした仕立ての上下揃いの服を着て、品のいい笑顔を浮かべているだけなのに、それだけでぱっと明るい空気を作っているのでした。決して若くはないのに、ああ、あの金色の髪のせいかもしれない、とフュラニはぼんやり思いました。同時にあのナナシ店主のまだ若いのに地味で冴えないことが思い出されて、ちょっと可哀想な気がしました。
「…雨の水曜日堂に来たつもりだったのだけど」
 そう言えばナナシも姉妹店がどうこうと言っていたっけ、と思いながらそう告げると、男は大袈裟に「雨の!」と目を丸くして、
「ああ、お嬢さん!それはいけない。一体どういったわけであんな店を訪ねようと言うんです。あの店はあなたのような可憐なお嬢さんに相応しいところではありませんよ。不本意ながら、わたしのこの金の風切り羽根堂と、件の雨の水曜日堂とは、姉妹店と言わざるを得ない関係なのですが、ええ、本当に不本意ですがね、あの店は良くない。店主は変人だし、扱うものもがらくたばかりです」
と、天を仰がんばかりに嘆いて見せました。
 その上、言いながらさり気なく背中に手を添えて促され、なんとなく片隅の商談用らしい席に着かされてしまいました。しかも、商談ならば向かい合うのが普通だろうに、この男はふたり掛けのソファに、ごく自然に並んで腰掛けました。低めのテーブルの向こうにはちゃんと、ひとり掛けのソファも並んでいるというのに。
「ええ、まあ…そうですね。確かにあの人はちょっとおかしいと思います」
 少々上体を引きがちになりながら、フュラニは同意しました。
「ちょっと、だけですか。お優しくていらっしゃる。しかし、ということは、まさかお嬢さん、既にあの店に?そうでしたか…それは、なんとお悔やみ申し上げて良いか」
 男のあんまりにもあんまりな言いように、フュラニはちょっぴり警戒しつつも思わず笑ってしまいました。
「そんな、お葬式じゃないんですから!あなたは雨の水曜日堂をご存知のようですけど、あれはどういったお店なんですか?わたし、行ったことはあるけれど、詳しいことはよく知らないんです」
 半分笑いながら尋ねると、男は「ふむ、どんな店かと言えば…」と、テーブルにちょこんと置かれた蓋つきの陶器の小壺を手元に寄せながら話し始めました。
「まあ、一言で平たく表現すれば薬屋なんですがね」
「…薬屋なんですか。そうは見えませんけど。でも言われて見れば確かに、看板に処方箋受付、って」
「ええ、まあ、薬にも色々あるわけでしてね。薬は色々あって然るべき、それは良いのですが、あれはどうも、わたしは好みません。なんと言っても店主に華がない。あれでは説得力に欠けます。…どうぞ、砂糖菓子がお嫌いでなければ」
 陶器の小壺から取り出したのは、花を模ったきれいな砂糖菓子でした。フュラニはそれを、ありがとう、頂きます、と受け取って、話しを続けながらなんとなく手の上で弄びました。
「確かに、ナナシさんはどうも…うだつの上がらない感じ」
 率直な感想を言うと、今度は男が笑いました。
「うだつの上がらない、とは、素晴らしい!彼に似合いの表現です。良い感性をお持ちのお嬢さんだ。いや、感服しました。わたしも次から彼について説明するときは、その表現をお借りしよう。…ところで、彼はあなたに名前を?」
「ええ、ナナシと名乗りましたよ。でも、それって本当にそういう名前なのかしら。からかわれたようにも思うのだけど。それに、あの人、自分は魔法使いだなんて言うんです。それにわたしのことを、フュラニとかなんとか、勝手に呼んでいて」
 男はそれを聞いて仰天しました。
「なんですって!」
「ええっ!」
 男の仰天振りに、フュラニも負けないくらい仰天してしまいました。
「ああ…そうでしたか…。なんという…。いえ、お嬢さん、任せてください。わたしが貴女を救ってみせます!」
「え、ええっ?」
 今度はまだ砂糖菓子を持ったままの手を上からしっかと両手で握られて、フュラニはまたまた仰天しました。
「救うって、どういう」
「さあ、こちらへ」
 …ことですか、と続ける前に、握った手を引き立たされて、鏡の前へと連れて行かれました。
 この男はナナシ店主と比べるととても上品で、美しく、仕草のひとつひとつも洗練されているけれども、残念ながら根本的に同類だ、と、この頃になってようやくフュラニにも飲み込めてきました。
「あの、何をするんですか」
「見てください。これが今のあなただ。これからあなたにぴったりの薬を処方します」
 鏡には素朴でこれといった特徴もない制服姿のフュラニと、フュラニの肩に両手を置いて後ろから覗き込むようにしている男が映っていました。
「薬?」
「まずはドレスを。そうだな、あなたには青がいい」
 フュラニの問いを聞いているのかいないのか、男は青い服ばかりたくさん掛かった車輪つきのハンガーを、どこからかガラガラと引き寄せました。その中から清楚な淡い青のドレスを選り分けて、鏡の前のフュラニに当てて見せました。
「ほら、如何です。十把一絡げの無粋な制服なんかよりも、よほどあなたに似合う」
「…可愛い」
 ドレスは四角く開いた胸元に、風船のように膨らんだ可愛らしい袖、ウエストは後ろで共布のリボンを結ぶようになっていて、裾はふわりと膝下まで広がっていました。襟にも袖にも淵には小さな半円を連ねた形のロマンチックなレースが控えめにあしらわれていて、いかにも清純な少女といった趣でした。
「その通り。あなたはとても可愛い」
「い、いえ、わたしじゃなく、ドレスが」
「ええ、ですから、その可愛いドレスが似合うあなたは、とても可愛い女の子だ」
 思わず顔を赤くして、なんと言っていいかわからなくなっていると、「さあ、着替えてごらんなさい」と、鏡の横のカーテンが開かれました。どこもかしこもひらひらした服だらけだったので気付きませんでしたが、その実用性なんか考慮する気もないようなひらひらしたカーテンは試着室らしいのでした。
「着替えるんですか、これに、わたしが?」
「そうですよ、可愛いお嬢さん!わたしの見立てが間違っていないことを、証明してはくださいませんか」
 フュラニは口ごもりましたが、やんわりと、かつ強引に背中を押されて、試着室へ入れられてしまいました。正直なところ、カーテン一枚隔てただけのところに、金の風切り羽根堂の店主がいるのに着替えをするというのは、ちょっぴり勇気が要りました。親子でおかしくない歳の紳士を相手に、そういった羞恥心を持つのは失礼かと思いつつも、やっぱりすこし戸惑いましたが、今更着替えずに出て行ってももう一度ここへ押し込まれるだけだろうと想像がついたので、思い切って着替えることにしました。先ほど口に入れ損ねた砂糖菓子を、えいと口に放り込んで、着替えに取り掛かりました。その間にもカーテンの外で何やら準備しているような気配があって、いろいろとどきどきさせられました。
「あのう…着替えましたけど」
 フュラニがそうっとカーテンの間から顔を覗かせると、男は嬉しそうに破顔して「さあ、こちらへ、麗しのご令嬢」などとのたまいました。
「素晴らしい。やはりわたしの目は狂っていなかったようだ。さあ、仕上げです」
 そう言って、白い靴、白い手袋、そして白いレースたっぷりの日傘を見せました。手を貸して靴と手袋を身につけさせると、最後に日傘を手にとって、周りにぶつけないように慎重に開き、どうぞ、と差し出しました。
 フュラニは鏡に映っている、ドレス姿で日傘をさす自分の姿を見て、なんだか夢心地になりました。ドレスはあつらえたように身体にしっくり合っていて、自分がとても清らかな、先ほどのこの男の言うのを借りれば、俗世を知らない箱入りの「ご令嬢」にでもなったように思いました。ちょっと傘を回してみたら、鈴もついていないのに、しゃららん、と清涼な音がして驚かされました。
 男はそっと自然に日傘を受け取ると、後ろからそっとフュラニの両手を取り、身を屈めて一緒に鏡を覗きました。
「どうですか、お嬢さん。ああ、晴れた日の緑の庭、シュルトノーツの空中庭園がいい。そう、ここです。噴水が見えますか。水盤にきらきらしているのは、変わらぬ愛を誓う恋人たちが投げこんだ指輪です。ちょっとした謂れがありましてね。美しいでしょう。それに、緑の輝く季節だ。背の高いのがレーンの木、低くて葉の色の濃いのがルーグリーズの木、葉の小さい、丸く手入れされているのがメルメリスといいます」
 大きな鏡の中の自分の背景はいつの間にか、服の溢れた店内ではなく、見たことのない美しい庭になっていました。空は青く、白い、やさしい雲がちぎった綿のように流れ、緑は活き活きとして、初夏の午前のようでした。ダンスの一場面のように後ろから手を取られたまま、その不思議に見入っていると、次第にその景色が間近に迫ってくるような感覚に囚われました。鏡の中の自分と現実の自分が交差するように引き寄せあって、吸い込まれるようにフュラニはその庭園へと旅立ちました。陽射しが強く肌を打ち、しかし緑のせいか噴水のせいか、空気は爽やかでした。噴水の音に紛れて、小鳥の囀りや、枝を揺らして飛び立つような音が聞こえました。
「メルメリスをよく見て…ほら、これはつぼみです。たくさんあるでしょう。白い、可憐な花を咲かせる。まるで、可愛いお嬢さん、あなたのような、ね。お疑いなら、ご覧に入れましょうか。ほら!」
 男がひとつ指を鳴らすと、目の届くところすべての、メルメリスというメルメリスが端からみんな、目を覚ましたように白い小さな花を咲かせました。気のせいか、花開くときに、泡の弾けるような音が聞こえました。その音が波のように去った後は、さっきまで緑の丸だったものは、すっかり白の丸になりました。
「きれい。すごく可愛い」
「ええ。だから言ったでしょう、まるで貴女のようだと。もうすこし向こうには青いディセリーの花時計がありますよ。モローネの生垣で作った迷路遊びの真ん中にあるんです。…おや、メルメリスにつられて咲いてしまったかな。これはキオラ・シュピネ。うん、素晴らしい。これもよく似合う」
 フュラニの足元に一輪だけ開いた、薄い黄色の百合に似た花を手折って髪に飾り、男は微笑みました。フュラニは思わず頬を染めて、耳の横に挿された花に手を触れました。
 と、その時でした。
「ちょっと!何をしてるんだ、金の!」
 聞いたことのある声が飛び込んできて、フュラニはハッとして振り返りました。するとしゃぼんだまがぱちんと弾けるように我に返り、自分のいるのが金の風切り羽根堂だということを思い出しました。と同時に、壁際のハンガーにずらりと並んだドレスの裾を掻き分けて雨の水曜日堂のナナシが這いずり出てくるところがその目に映ったので、ぎょっとしました。
「それはこっちの台詞だ!なんてところから這い出て来るんだ、君は!まったく、なんて品のない…」
「そっちがここにハンガーを置いたんじゃないか!それに僕に言わせりゃ、あんたの節操なさだって、十二分に品がないさ!いい年した中年男が、若い女の子にちょっかいを出さないでくれ!」
 ぽかんとしているフュラニの前で、ふたりは喧々囂々、言い争いを始めました。
「人聞きの悪い!ちょっかいを出す?何故そう下品な言葉しか使えないのかね。わたしはただ彼女に薬を処方して差し上げたのだよ。理不尽な穢れに侵された彼女の心を、まずはきれいに殺菌してだな」
「穢れ!何だ、穢れって、もしかして僕のことを言ってるの!ひどい、あんまりな言いようだ!聞いたろう、フュラニ、この男はこういう男なんだよ、信用しちゃ駄目だ!君はいま、危うくこの好色な中年男に騙されようとして、まったく、ああ、もう、可愛いなあ!」
 凄い剣幕で捲くし立てていたナナシの台詞は、フュラニの格好を改めて真正面から見たあたりで、趣旨が変わってしまいました。
「当たり前だ、わたしの見立てに狂いはない」
「うん、さすが音に聞こえた金の風切り羽根堂。いやあ、良い仕事するねえ。とてもよく似合っているよ、フュラニ。可愛い、可愛い」
「ふん、お前にもそれなりの審美眼は備わっているらしいな。まったくもって同感なのだがお前を喜ばせる為にしたことではないので、あまり見ないで貰おうか。是非とも見せびらかしたいが、相手がお前だとどういう訳か不愉快だ」
「けちだなあ。まあいいや。だって、どちらかというと、見せびらかすのは僕の方だしねえ」
「何だと!一々、癇に障る言い方を…そもそもだな、お前という男は」
 よくわからない、やや滑稽な大の男の口げんかを聞きながらも、フュラニの目はちらちらと鏡へ向けられていました。
 鏡は、ごく当たり前の鏡に見えました。世の中の鏡たちが皆そうするように、目の前のものを忠実に映し出しているようでした。そっと近付いて触れてみましたが、やはり店内を背景にして自分の姿が映るだけで、先ほどの何とか言う空中庭園などは、全く発見できないのでした。
「夢…?」
 鏡に映る自分の輪郭を指で辿りながら、思わず呟きました。すると気付けば、
「その通り、あれは夢です。ええ、しかし、決して夢などではない」
「…ほんとうに格好つけるの好きだねえ、あんたは」
涼やかな微笑を浮かべた見目麗しい人物と、それを白い目で見るいまいちパッとしない人物が鏡に映りこみました。フュラニは、パッとしない方はとりあえず置いておくことにして、自分の知りたいことを教えてくれそうな方を優先しました。
「どういうことですか。さっきのは…」
「夢であって、夢でなく、現実であって、現実でない。いやなに、ささやかな魔法ですよ。不本意ながら、とんだ無粋者の邪魔が入ってしまいましたが、貴女がお望みとあらば、いつでもまたシュルトノーツ空中庭園へご案内しましょう」
 魔法!
 フュラニはその単語にどきりとしました。魔法使いの賭けのことを思い出したからでした(ちなみにそのとき、ごく自然な流れで居なかったような扱いをされたパッとしない方は、ちょっと拗ねていました)。
「何なら指輪を用意しましょうか。キオラ・シュピネの意匠をあしらって、ふたりであの噴水に…」
「あ!こらっ、また!僕のフュラニに馴れ馴れしくしない!」
 背を屈めて囁きかけた男から取り上げるようにして、ナナシがフュラニの肩を掴んでぐいっと引き離すと、フュラニは驚きながらも抗議しました。
「な、ナナシさんのじゃありません」
「ほら、当人が否定しているぞ」
「だからって、あんたのでもないの!ああ、もう、ほら!帰るよ、フュラニ。そもそも君は僕の店に来るはずだったんだろう」
 ナナシはまだ鏡に対して名残惜しそうにするフュラニの腕をやや強引に取ると、何を思ったか、クロゼットの扉を開けました。
「えっ?ナナシさん、ちょっと、何して…」
「黙ってなさい。いいかい、金の。この子はね、じきに僕の店の目玉商品になる予定なんだから、妙な手出しをしたらただじゃおかないよ」
 フュラニの片腕を捕まえてクロゼットの扉に手を掛けたまま上体だけで振り返った雨の水曜日堂店主は、金の風切り羽根堂店主に向かって、お説教するような口ぶりで言いました。
「へえ、目玉商品に、ね。それはいい。是非、売約済みの札を掛けておいてくれたまえよ。お迎えに上がりますからね、お嬢さん」
「お断りだ!」
 そう吐き捨てて、クロゼットへ入ろうとするナナシでしたが、フュラニは慌ててそれに逆らいました。
「あ、あの!…またお会いできますか?それに、あなたのこと、何て呼べば?」
 金の風切り羽根堂の店主は目を細めました。
「望めば、いつでも。呼び名はお任せしましょう」
「…はい、ありがとう!じゃあ、キーノさん、また来ま、わあっ!」
 言い終わらないうちにぐいと腕を引っ張られて、フュラニはそのまま後ろ向きに倒れこみました。それを追いかけるようにバタンと大袈裟な音を立ててクロゼットは閉まってしまいました。
「やれやれだ、騒々しい。…キーノさん、ね。ふむ、まあ悪くないな」
 後に残された男が顎を撫でながらそう言ったのは、勿論フュラニの知るところではありませんでした。
 金の、と呼ばれていたのを、キーノ、と聞き違えていたと知るのも、もう少し先になりそうなのでした。



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2007.10.29 公開