異界を渡る物語 第一章 第十七話



 ルーウルアウドは東へ向かいました。追っ手に見つからぬよう、逃げる同族と鉢合わせしないよう、それが常とはいえ更に慎重且つ迅速に動かねばなりませんでした。過度に神経を酷使する危険も重々承知しているので、平生であれば程々に緊張を逃がしながらの道程となるはずのところでしたが、今度ばかりは気を研ぎ澄ましたまま往かざるを得ませんでした。
 アシュオリと別れた森をもうすぐ抜けようかというところで、何かを感じたルーウルアウドは目指していた道を逸れました。僅かに後戻りする形で少し行くと、同族の亡骸に出くわしました。ひとりは成人したばかりの男、もうひとりは少女で、折り重なるように斃れていました。眼を見開いたまま、それは惨い死に様でした。
 ルーウルアウドは既に息絶えているふたりに近づき顔を確かめると、腰の袋から香り草の葉を取り出し、閉じる力を失ってだらっと開いたまま固まっている口の中へと入れました。そのまま野葬とするのが一族の弔いの作法でした。山野で死すれば獣に食まれ、川で死すれば海へと流れ、砂漠にあっては砂に埋もれる、自然に帰すまま逆らわない、それが作法でした。誰知らずひっそりと死んで行くことも多い一族のこと、たったこれだけの弔いでも、遺体になった後で同族に発見されたことだけでさえ、幸運とも言えるのでした。
 しかし作法通りに死別の挨拶をしたあと、ルーウルアウドは三歩ほど後ろへ下がったかと思うと、その場に膝をついて地面に額を打ち付けんばかりに頭を下げました。
 一族の誰もが常に持ち歩く香り草を、死を覚悟した時は自分で口に含むものでしたが、それすら出来ず為す術も無しに止めを刺されたであろう若い命を前に、一言も発さず、涙も流さず、ただただ額を地につけていました。
 そのうち、ふと遠くを見るような目で顔を上げました。そしてやがては獣の腹に収まることになるであろうふたつの死に顔をもう一度眼に焼き付け、素早くその場を後にしました。
 翌日の夕までかけて東へ向かい、辿り着いたのは神の娘と初めて接吻を交わしたあの湖畔でした。もっと遠くまで行くことも出来たし、追っ手からも同族からさえも身を隠すのに適した場所を探すこととて不可能でないはずでしたが、ルーウルアウドは敢えてこの場所を選びました。
 まずは警戒しながら近づいて、朽ちた家々に何者も潜んでいないのを慎重に確認してから、屋根壁の崩れきっていない家屋の残骸へ滑り込みました。腰を下ろしてひと心地つくと、荷の口から手探りで木の実や種の入った小袋を出し、中身のいくつかを食べ、道中拾って胴帯の中に突っ込んでおいた木の実を取り出して代わりに小袋へ入れました。もう一度外へ出て、焚き木にする枯れ枝と食べられる野草を集め、あとはそのまま夜が更けるのを待ちました。
 時折外の様子を窺って、空の色の次第に深くなるのを味わっていると、ふと思い出したことがあって、口元を緩めました。
 ある夜、乙女はルーウルアウドに、身を清める時はいつも水辺であのようにするのかと問いました。あの、というのは正にこの湖畔で再会した時のことで、布を湖水に浸して身体を拭いていたのが乙女には珍しく思えたらしいのでした。
 質問は、つまり、水には入らないのかと、そういう意味でした。乙女の方にしてみれば、身を清めること自体が殆ど娯楽のようなものでしたが、ルーウルアウドにしてみれば、そうそう無防備に全装備を解くような真似は出来ないため、拭き清めるだけでも贅沢なくらいでした。短い時間とはいえ身を守るものの一切を手放すなど、一人旅の最中には出来ようはずもありませんでした。
 理由を説明してやると乙女は、それなら今日はひとりでないのだから一緒に水浴びをしようと言い出しました。ルーウルアウドは、一緒にと言っても互いに見張り役をしなければいけないし、自分に乙女を護る役が勤まっても逆は難しいだろうから、水浴びをしたいなら見張ってやるので浴びてこいと勧めました。乙女は、違う、そうではないと必死になって、最後にはもどかしげに腕を取って引っ張りました。
 歩いてもいないのに一瞬にして遠い場所へ移動するという不思議をルーウルアウドが体験したのはこの時でした。神の娘の手に杖が現れ、その先が地面を打ったかと思うと、あとは何が起きたかもよくわかりませんでした。何かを描いたらしき光の線を見たような気がしたので、辛うじて乙女が神の業を用いたのだと知ることはできましたが、あまりに突然だったので状況を理解するのに少々時間を要しました。
 有無を言わさず強引にどこぞの泉へと連れていった乙女は、存在を絶つ、という、人の子には想像もつかない業をやってのけ、さあ水浴びをと笑ったのでした。
 乙女は恥じらうような、はにかむような仕草をしながらも、思い切りよく全裸になりました。ぎょっとしました。乙女は更にルーウルアウドの襟もとに手を伸ばし、留め紐の結び目を解こうとしました。我に返り、止めたものかどうしたものか迷いましたが、一族独特の衣裳の作りに悪戦苦闘する乙女が子供のように無邪気だったので、好きにさせることにしました。やっと紐を解いたものの、その先うまく脱がせられず真剣に悩んでいる様子を見かねて、帯が先だと口を出したら、手伝うべきだと怒られました。べき、などという言い方が妙に可笑しくて、思わず小さく笑いました。
 そして、いざふたり同じ姿になったところで月明かりに照らされた互いの裸体を見ると、それぞれ相手の美しさに見入りました。が、うっとりとルーウルアウドの身体を上から目でなぞっていた乙女の視線が股間に至ると、何とも言えない顔をして凍ったように凝視したので、今度こそ呵呵大笑したのでした。
 今になって思えば、あんなにも開放的に声をあげて笑ったのは久方ぶりのことでした。笑われた乙女は、初めて見たものに目を奪われるのは仕方がないとか、神界では裸を人目に触れさせる習慣がないからどうのと、あれこれ弁明していましたが、ルーウルアウドに笑われた本当の意味の微妙な含みを、恐らくここではまだ理解していませんでした。
 この時の乙女はただ純粋に水浴びをさせたくて、そのために衣服を脱ぎ捨てたかったに違いありませんでした。もしも他に理由があるとすれば、神界へのささやかな反抗心とでもいおうか、要するに何か悪いことをしてみたいという思春期のような好奇心だろうと思われました。
 乙女が初めて肌を見せた相手が自分であると考えただけで、背筋が痺れるほどの喜びが迸りました。そして、悔いはない、と、はっきりそう思いました。
 ルーウルアウドは最初の接吻のあと口にした通り、神の娘に命を差し出すつもりでした。そんな要求に応じはしないだろうと予想できたし、それがまた嬉しくもありましたが、他に償う方法はないことを、よくよく心得ていました。
 今まで何度も、これ以上はいけない、これ以上はいけないと言いながら、欲に負けてきました。倫理観や自制心や、そういう己を律する役割を持っているはずの全てのものを、乙女は表情ひとつでいとも簡単に吹き飛ばしました。否、木っ端微塵になったのはこちらの勝手で、乙女に責はなく、そも無でなければならなかったものを一と有らしめ、十にも百にもしたのはルーウルアウドの方でした。興味を抱いたのは乙女も同じ、けれどもそうと知って引きずり込んだのは間違いなく自分でした。
 自決しないのは、建前を言えば、神の娘に命を差し出すという儀式性が不可欠だからであり、本音を言えば、単に未練からでした。その点は自覚していました。「他ならぬ神の娘が手を下すことで、人の子の罪と同時に神の娘の恥もまた雪がれるのだから、自決ではいけないのだ」という理屈も、確かに筋が通っていました。が、それだけを真に理由としているかと問われれば、否と答えざるを得ないのでした。
 もう一目会いたい。その気持ちこそが過ちを犯させたというのに、人間とは何と懲りない生き物だろうか。ルーウルアウドは、そう思いかけて、いや、人間だからでなく、俺だからだったのだ、と、そう思い直し首を振りました。
 ───辺りはだいぶ暗くなってきました。どうも今夜中の来訪はないらしいという気がしたので、このまま一晩ここに隠れようと決めました。集めた枝を使って火を焚けば暖を取れるはずでしたが、抜かりない装備をしている流浪の一族にしてみれば特段冷える夜でもなく、逆に隠れていなくてはならない今、明かりを目印にされると厄介なので、このまま夜を過ごすことにしました。勿論、蝋燭も温存しました。
 先ほどから窺っていた空模様や風の味からすると、明日は午前中のうちに少々の雨が来るかも知れませんでした。明日は明け方に起きて動き始めることにして、もう少しまともな食事をしようと考えながら、洗っただけの野草を食んで苦味と香気を味わいました。
 ふと思考が逸れて、アシュオリとスファティのその後に意識が向きました。ルーウルアウドが兄と慕うアシュオリの技術や知識や要領の良さは天下一品、舌を巻く程で、娘をひとり連れていても森を抜けるくらい難なくこなすはずでしたが、連れの娘がはねっかえりのスファティであるという点で、些か不安にならざるを得ませんでした。
 スファティはアシュオリの姪にあたる少女でした。双子の妹にスクティというのがいて、二人とも姉の元を離れたばかりでした。姉といっても実の姉妹ではなく、独り立ちまで面倒を見る師なのでした。一族の子供たちは皆、物心つく頃に機を見計らい「兄」や「姉」、すなわち直接の親兄弟でない年長の同族のところへ預けられるのでした。
 おとなしい性格のスクティと違いスファティは昔からどうも多分に威勢が良く、ませていて、いつか何かしでかすのではと危ぶまれる有様でしたが、アシュオリはそんな姪を特に可愛がっていました。ルーウルアウドは、アシュオリの兄師(あにし)と自分の兄師が実の兄弟だった縁でアシュオリと馴染みになり、そのアシュオリが何かに付けて気に掛けるスファティとも面識が出来ました。とはいえ流浪の一族のこと、実際にスファティと顔を合わせたのは数える程でしたが、我の強い幼子はよく印象に残りました。アシュオリを慕うのと同じように、兄(あに)さん、兄さんと懐いてくるスファティに、姉師のお株を奪わない程度に兄師の真似事をしてやったこともありました。
 ルーウルアウドは目を閉じました。森で見た光景が浮かんで、覚えず沈痛な面持ちになっていました。死んでいたのはスファティの双子の妹スクティと、その夫になることが決まっているエジクでした。エジクも腕が悪い訳ではありませんでしたが、少女ひとりを庇いながら多数の追っ手から逃げ切るには、如何せん経験が足りなかったようでした。無論、一族の者は女であろうと子供であろうと、並の相手には決して後れを取るようなことはありませんでした。スクティにも相応の技術はあるはずでしたが、極限状態にあって力を発揮できたか否か、それは今となってはわからないことでした。
 体力の劣る者を守りながらの逃亡を、エジクも果たして良くやったのだろうと思われましたが、立ち向かうにも逃げるにもあまりに不利な状況で、終に若者の手には到底負えない場面に追い込まれ、無念な最期となったのでした。その場を見てはいなくとも、ふたりの亡骸が雄弁に物語っていました。
 年若い弟妹に着いて行ってやれなかった運の悪さや間の悪さは誰のせいでもないとは言え、生者と死者の再会を果たすことになってしまった家族たちのことを思うと、口惜しくて仕方ありませんでした。口惜しいも何も、そもそも己が神の娘と愛し合うなどという大それたことをした所為で惨劇を招いたのはスファティの話からも間違いないのでしたが、それでもやはり恋そのものについて後悔する気持ちは湧いては来ませんでした。
 救えなくて悔しい、けれど原因を作ったことは悔やまない。己のこの身勝手さ、理不尽さを、不器用で誠実な男はただただひとり受け止めました。
 ルーウルアウドはそうしてしばらく物思いに耽っていましたが、そのうちもう一度空の色を見て、再び腰を下ろすとすぐに眠りに入りました。───必要なとき、可能なときにすぐさま寝入り、思う通りに目を覚ます、一族の者が誰でも心得ている技術の、これもひとつなのでした。
 翌日、明け方近くルーウルアウドが目覚めると、空には灰色の薄い雲がありました。昨夜の読みの通り、昼にならないうちに軽い雨が来そうでした。
 外へ出て、まずは燃えそうな枯れ枝を拾い集めました。ちょうど振り出してきた小雨の中、油をよく馴染ませた外套を被って畔の浅瀬に近づき、拾った枝を矢にして小魚を何匹か仕留めると、水辺に茂っている背の高い草の、茎の皮を剥いで屋根の下へ戻りました。手持ちの道具で火を起こし、先ほどの皮に魚と野草と香りの強い小さな種の何粒かを包んで、蒸し焼きにして食べました。
 そういえば、とうとう乙女は一緒に食事をしなかった、とルーウルアウドは思いました。神には食事が必要ないらしく、湯浴みと同じく娯楽として果物や菓子などを口にすることはあるものの、生きるためではないと乙女は言いました。餓死のない世界とはどんなものか、ルーウルアウドには想像もつきませんでしたが、乙女にしてみれば腹が減るという感覚がよくわからないとのことでした。
 野の草や木の実や魚を取ったり、獣を捕らえて捌くこともあれば、時には生きた虫をそのまま口に入れることもあると話したときの乙女の顔ときたら、何度思い出しても笑いの種になるほどでした。
 自分と同じ食事を勧めてみようかと考えたこともありましたが、やはり止めておきました。今まで頬の落ちるような極上の甘味しか味わったことのない乙女に、野趣と言えば聞こえのいい下手物を口にさせるのは些か酷だと思ったのでした。無論、一族の者たちは下手物のつもりはないし、香草や何かを巧みに使うので見た目よりは旨いはずでしたが、都人が上品な白い皿に盛り付けて取る食事に比べたら、下手物と称されても仕方のないものであろうことは否定できませんでした。何より、生き物を殺して食らうこと自体が、乙女にとって卑しい行為に他ならないように思われました。確かに今ルーウルアウドが平らげた魚の(寄生虫のいる心配があるからと中までしつこく火を通した、目の大きい淡水魚の)蒸し焼きを、あの神の娘が口にするところなど想像も出来ませんでした。
 なんという違いだろうかと、ルーウルアウドは改めて思いました。なんという隔たり、なんという格差。御姿を一目見るだけで恐れ多い、どころか、「見た」という罪で眼球を抉られたとしても、命を取らずにいてくださった寛大なるお心に感謝せねばならない、それ程の尊い御方に対して、我と我が身の賤しいことときたらありませんでした。
 ルーウルアウドは一族の血に誇りを持っていました。どんなに忌み嫌われようと命を狙われようと、それは特別な血であることの証明であって、異民族よりも劣るものとして排除されようとしているのではないと信じました。むしろ優れているがための疎外であり迫害であると認識していました。が、いずれにせよ、それらも飽くまで地に住まう民の中でのことでした。両手に一掬いの水も桶に一杯の水も、大海原とは比べるべくもないのと同じことで、人としてどれだけ優れていたとしても、また劣っていたとしても、神の娘の前では、ただ、人は人、それだけなのでした。
 小雨はまだ続いていました。
 今夜、乙女は来るだろうか。ルーウルアウドは再び思索に耽りました。



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2011.01.14 公開