異界を渡る物語 第一章 第二十一話



 太陽が没し、神界に暗闇の紗が掛かり始めた頃でした。すべてのものがゆっくりと青みがかる中、白の館の一角には、足早に歩くふたりの女の姿がありました。
「すっかり遅くなってしまったわ。もう皆、とっくに寝床を整えているでしょうね」
「あなたったら、ぶきっちょなのだもの。刺繍が歪んでやしないか心配だこと」
 この日の勤めを漸く終えた、ふたりの従者でした。
「……ねえ、ここのところ、」
 静かな白い廊下を並んで歩くふたりの従者のひとりが、急にひそひそ声になってもうひとりに話しかけました。
「ラハトハスのご機嫌がよろしくないのに気付いていて?」
 美しい光沢のある薄青の布を腕に抱えたフェニが、白と青のきらきらした刺繍糸の束が入った籠を抱えたリリッサにそう切り出すと、リリッサは辺りを気にするように右、左、斜め後ろと目で確認してから僅かに顔を寄せて頷きました。
「やっぱり!あなたもそう思うの、フェニ!もともと愛想の良い方ではないけれど、ここ最近はいつも難しいお顔を」
「そうなのよ……最近、主ニーロニィがお姿を隠してらしたことがあったでしょう(今でこそ元通りだけれど)。噂ではね、その間、主は、ラハトハスにさえお会いにならなかったらしいのよ。主のご様子が戻っても、どいうわけか白狼殿の眉間の皺だけは、それ以来戻らないってわけ。ラハトハスの前で何か失敗でもしようものなら、きっといつも以上に厳しいお叱りがあるに違いないって、みんな、はらはらしているのよ」
「しっ!」
 リリッサはフェニの話を途中で遮ると、すっと背筋を伸ばしました。何事かとフェニが目を白黒させていると、廊下の突き当りの角を曲がってこちらへと歩いてくるラハトハスの姿が目に入ったので、慌ててリリッサの真似をしました。ふたりはそのまま何事もなかったように歩き出しました。すれ違い様にリリッサが、御機嫌よう、と小さく挨拶すると、良き眠りを、と返事があり、そのまま通り過ごしたので、ふたりはほっとしました。
 さて、ラハトハスはと言えば、ふたりの会話をしっかりと耳にしていました。女たちがそそくさと角を曲がっていった後、こちらは歩を乱すこともなく澄ました様子でしたが、眉間の皺だけは隠せませんでした。
「まったく……」
 規則正しい足音に紛れて、苦々しい呟きが洩らされました。それは当人に心当たりがあるからに他なりませんでした。
 女たちの噂話の通り、白狼ラハトハスはここ最近、良い気分では過ごしていませんでした。己の心の平穏ならざることを感じていました。しかし今までは多少そのようなことがあっても、主や一部の旧友は兎も角として、他の従者たちにそれを気取られたことはなかったので、たった今耳にした会話は少なからず衝撃を齎しました。己を律することを重んじるラハトハスには、それは恥なのでした。
 心の乱れの理由はわかっていました。ファルニエルを側付きにすると突然言い出したあの日以来、一見すると、乙女はすっかり元通りになったように思われましたが、しかし、ラハトハスはどうしても、違和感を拭えないのでした。
 生真面目な従者筆頭は、ことのあらましを一から浚いなおしました。
 始まりは、神の娘ニーロニィが、未だ嘗て見たことのない、だらしない暮らしをしはじめたことでした。目覚めは朝でなく、昼の日中、眠たげに欠伸を繰り返しながら寝所を出て、それきり私室に閉じこもって過ごしていました。初めのうちはそれでもまだ部屋を出、庭を歩く姿も見られましたが、時が経つにつれていよいよ篭りきりになっていきました。身の回りの世話を役目とする従者たちの話によれば、ぼんやりと宙を見て考え事をしていたり、時には転寝をしていることもあるようでした。挙句、一日中寝所から出ない日すらあるという話でした。
 そして、問題は午後の茶でした。従者たちの中から公平にひとりずつ選んで呼ばれるはずの茶の席を、あのお祭りプレアスタンが独占したのでした。日課であった午後の茶は、ぐんと回数を減らしていましたが、そこに呼ばれるのは毎回毎回、あのお調子者、プレアスタンなのでした。
 何かあったことは明らかでした。そうでなければ、少々の茶目っ気を持っているとはいえ心も行いも清廉な神の娘が、怠惰で自堕落な日々に甘んじているわけがありませんでした。
 そういうわけで、ラハトハスは、自ら神の娘に尋ねんと試みました。ところが、神の娘は相変わらずプレアスタンばかりを茶の席に召し、ラハトハスとは話どころか会おうともしませんでした。神の娘に尤も近いのは自分に違いないと、何かあれば必ず頼りにされるのは自分であると、自負して疑わなかった白狼ラハトハスに、その事実は重く圧し掛かりました。
 そうこうしているうちに、ファルニエルの懲罰室の問題が起こり、かと思うと驚くほどあっさりとそれが解決して、今までのことが嘘だったかのように、白の乙女は再びかつての日常を取り戻したのでした。
「情けない」
 指先で額に触れながら、忠実なる僕は嘆きました。主の身に起こっているらしい何かについても、己の不甲斐なさについても、白狼は嘆いていました。
 かつて当然であった、そして一時は懐かしくさえ思えた、一日の終え方が、また当たり前になっても、ラハトハスの心は晴れませんでした。「ありがとう、ラハトハス。もう眠ります。今日の務め、ご苦労でした。あなたももう休んで。また明日会いましょう」「は。では御前を失礼致します。我が主に良き眠りの訪れますよう」───日常であり、また一種儀式めいたものでもあった挨拶のないまま床に入ることは、ラハトハスにとって苦痛そのものでしたが、それを取り戻した今も、漠然とした負の感情が消えませんでした。主の身に、まだ何かが起こっているのではと思うとそわそわし、それをプレアスタンだけが知っているのかも知れぬと思うと、むかむかしました。
 白狼は深く長い息を吐くと、歩を早めました。
 辺りの空気は次第にひんやりとし始め、見る間に青みが深くなっていました。ラハトハスがこのような時間に、白の館の回廊を歩いているなどということは、神の娘の従者であれば誰しもが首を傾げる出来事に違いありませんでした。平素、従者達が館の中を自由に歩くのは日の光の及ぶ時間だけで、月の光の時間には誰もが自室に戻り、多くが眠りについていました。神界の夜にあるのは静寂だけでした。夜は癒しと安らぎの時であり、誰しもがそれを享受し甘い眠りに身を任せるのが当然でした。そのひたひたと闇に浸され静まり返った夜の館を、ラハトハスの足は真っ直ぐに、主の室へ向かっていました。
 心はもう決まっていました。今夜、無礼を承知で主のもとを訪ね、ことの真相を問いただすつもりでした。この時間ならば、絶対に邪魔は入らないはずでした。
 ───すべて解決したように思われる今、何故、あえて主を訪ねるのか。それは、ある一通の手紙に端を発していました。本当はラハトハスとしても、このまま何事もなく落ち着きを取り戻し、一時のこととして風化していくならば、それで良いのかも知れぬと思っていました───この夕べ、一日の勤めを終えて自室に戻った折、扉に差し込まれた一通の手紙に気づくまでは。
 人の目を盗んでそっと隙間に挟んだのだろう、差出人の署名のないその手紙には、簡潔で、且つ、捨て置くには重大すぎる内容が綴られていました。曰く、お祭りプレアスタンは神の娘ニーロニィを篭絡し、始まりの神への反逆を企てている。それが証拠に、手始めに彼の尊い御方に「隠さるるべき事」を暴露して、故意にお心を乱し、白の館を混乱に陥れようと画策した。黄金竜ファルニエルの不名誉な一件は、その隠れ蓑として利用するために仕向けられたものであり、彼の少年は被害者である。そしてそれら一連の動機は、お祭りプレアスタンが、本来生まれるべきでない存在として生まれたことを、神の落ち度と逆恨みしてのことである───。
 残念ながら(無論、非常に残念ながら)、ラハトハスは、その「密告」に少なからず信憑性を感じざるを得ませんでした。話の筋は納得できるものであるし、思い当たる節も大いにありました。
 しかし、手紙の内容が事実だったと仮定して(当然、あくまでも仮定として)、それでもまだ解明されないこともありました。何故、神の娘の態度は突如として一変したのか?例えば聡明なる主ニーロニィが、ことの次第に気づき、事態の収束と隠蔽を図ったならば、この従者筆頭ラハトハスへの説明をも方便で済ませる理由がわかりませんでした。白の従者たち全体へは、ファルニエルを側付きにするための試験、で、やや強引に通すとしても、自分にだけは真実を打ち明けてくださるはずでした。それをしないということは、まだ何か謎があるか、もしくは、白狼から歩み寄るのを実は心待ちにしておられるか、いずれかに思われました。
 今宵、話をお聞きして、それで済むならば良し。しかし、もしもまだ何か問題が残っていたとしたら───そう思うと、このまま済ませても良いなどと、少しでも考えてしまった自分に憤りさえ覚えました。
 従者たちの間に、これ以上、妙な噂が広がるのは絶対に避けねばなりませんでした。自分と同じく違和感を覚える者がいたとすれば、懲罰室の時のように従者たちが動揺する恐れも、確かにありました。おかしな憶測や何かが流布してからでは遅いのでした。主の傍近く仕えるものとして、また従者たちの筆頭という立場を預かるものとして、白の館が混乱に陥り、結果として神界における主の立場が危ぶまれるような事態を防ぐ義務が自分にはあるのだと、ラハトハスは自覚していました。いかな神の娘と言えども、神界を揺るがすほどの騒ぎを起こし、大いに秩序を乱すようなことがあれば、それなりの咎めがあって然るべきなのでした。そうならない為には、やはり、是が非でも主に話を聞かねばなりませんでした。
 そういった訳で、ラハトハスは館がすっかり静まるのを待って、再び主の私室にやってきました。夜が青く陰影を落とす、白いこの美しい扉は、この部屋の主の意向により白昼は開かれていることが多いものでしたが、今は閉ざされて静寂を守っていました。
 白狼は扉の前で、神界式の礼をしました。そして決意の面持で扉に手をかけました。主の私室の扉を許可なく開け中へ入るなど、許されるはずもありませんでした。例えどのような理由があろうとも、従者としても権限を多分に越えていることをラハトハスは承知しており、後にどのような重罰を科されたとしても異議を申し立てはしないつもりでした。
 一歩足を踏み入れたところで、
「主ニーロニィ。白狼ラハトハス、ご無礼を承知で参上仕りました。目通り願いたく存じます」
 と、月明かりに浮かぶ薄暗い部屋に呼びかけました。差し込んだ月光が水中花の池の水面に反射し、薄く清らかに辺りを照らしていました。主からの返答はなく、既に休んでいるのかと、ラハトハスは一続きになったいくつかの部屋の、更に奥を見遣りました。寝室でした。
 瞬きいくつかの間逡巡した後、神の娘の忠実なる僕は、そちらへと足を向けました。寝室へ無断で足を踏み入れるなど、この上ない狼藉に他なりませんでした。ラハトハスはしかし、既に覚悟を決めていました。このような手段に及ばざるを得なかった至らなさに憤りさえ覚えながら、それでも己の身滅ぶとも主の身の滅びぬことを望み、なんとしても救わねばならないと決意を固めていました。
 ラハトハスは寝室の入り口の一歩手前で足を止め、もう一度主に呼びかけました。やはり返答はありませんでしたが、ふと違和感に気付きました。あまりにも静か過ぎるのでした。それは音のなさというのでなく、気配のなさでした。意を決して扉を開け中を見ると、しんとし、冷えびえとし、何者の息吹も感じないのでした。
 嫌な予感がしました。
 ラハトハスはもう、確信に近い予感を持って、しかし信じられぬという心地で、大股に寝所へ向かいました。そしてすっかり下ろされている天蓋の紗を、その手で暴くように捲り上げました。
「……なんという……!」
 そこには誰の姿もありませんでした。小柄な美しい身体が横たわり、穏やかな寝息を立てているはずのそこは、蛻の殻でした。神の娘の身体の温かさはこれっぽっちもなく、柔らかな寝具は冷え切っていました。今しがた月を見に露台へ出たというような類でないことは明らかでした。最初からこの場所に身を横たえていないのでした。
 ラハトハスは顔色を変えて足早に露台へ向かい、外の様子を窺いました。そこには当たり前の静寂が在るばかりでした。素早く踵を返すと、まっすぐに従者たちの住まう次の館に向かいました。目当てはプレアスタンの私室でした。
 ラハトハスは、出来ることならば猛烈な勢いで走り出してしまいたいのをぐっと堪え、静けさを乱さぬよう足音を忍ばせて歩きました。ここでばたばたと音を立てれば従者たちが起き出し、騒ぎになることは目に見えていました。また走らぬことで冷静たらんとし、心を保とうと努めていました。
 プレアスタンの部屋につくと、叩扉もせずに室内に入りました。普段の白狼であれば絶対にしない、礼を欠いた行動でしたが、状況がそうさせていました。目当ての青年は、寝台の上で、片膝を立てて半分ずり落ちた掛け布を抱き、暢気な顔ですやすや眠っていました。起きろ、と一言だけ声を掛けましたが、返事も待たずに胸倉を掴むと、強引に上体を起こさせました。突然のことに寝ぼけ半分で目を白黒させているプレアスタンにずいと顔を近づけ、
「主はどこにおられる」
 と、肝が冷えるような声で言いました。途端、プレアスタンは覚醒しました。けれども、はっとして全てを悟ったような顔をしながらも、口を噤んで何も言いませんでした。
「主はどこにおられると訊いている!知っているのだろう!」
「……放せ!それに声が高い!」
 掴んだ夜着の胸元をぐっと上げられ、顔を突き合せるようにされたプレアスタンは、潜めた声に怒気を含めながらラハトハスの腕を払いました。そして軽く咳払いして、襟元を正しながら言いました。
「寝室に入ったのか」
「そのようなことを言っている場合ではない。咎めは後でいくらでも受けよう、今は兎も
角も主の御身の安全が優先だ」
 主がどこで何をしているのか知らないラハトハスは気が気でなく、内心では一刻も早く傍へ駆けつけたいと願っていました。しかしプレアスタンはだんまりで、凄まじい形相のラハトハスを怯みもせずに睨み返しました。
「貴様は……」
 知っていながら明かさないつもりか、そうラハトハスが口にしようとしたときでした。窓から一匹の猫が飛び込んで来ました。美しい紫色の毛並みの、翼を持つ猫は、窓枠を蹴って跳躍しふたりの間を割るように横切ると、その先の卓に滑らかに降り立ちました。驚いて互いに身を引いたふたりがそちらを見ると、猫は凛とした声を発しました。
「失礼。私は風の神エウィに仕える者ヒーラ。神の娘ニーロニィの従者筆頭、ラハトハスとは、あなたで間違いありませんか」
 ラハトハスは何事かと思いながらも頷きました。プレアスタンは黙ってその様子を見ていました。
「探しましたよ、白の従者筆頭。神の娘ニーロニィは今、人界にいらっしゃいます」
「どういうことだ」
「それは後ほど神々の口から語られるでしょう」
 思わず詰め寄ったラハトハスに、猫は静かに答えました。するとその言葉を聞き終わるか終わらないうちに、とうとう居ても立ってもいられなくなったラハトハスが、プレアスタンごと寝台を乗り越えて窓から飛び出して行こうとしたので、避けようとしたお祭り男はそのまま床へと落っこちて、うわあ、と場に似つかわしくない間抜けな声を上げました。
 しかし、
「お待ちなさいませ、ラハトハス!」
 鋭く制されて、ラハトハスは今にも飛び出しそうだったところを、ぎりぎりで踏み止まりました。
「どこへ行かれます」
「尋ねるまでもなかろう」
 猫はすっと目を細めました。
「ご安心を。既に我が主、風の神エウィをはじめ、時の神ユースラティ、技術の神トスクス、美の神パシュミア、恋の神ニルノが神の娘のお傍におられます。ご自分が彼(か)の神々よりも有能であるなどとお思いでないなら、貴方はここでお待ちになるがよろしいでしょう。待って、ご帰還を迎える準備をなさいませ。もしもあなたを必要とすることがあるのなら、その時はすぐにあちらからお呼びが掛かるに違いないのですから」
「何を───!……いや、一体何が起こっているというのだ、風の神エウィの使いよ。神の娘ニーロニィの御身を案ずるはその従者として当然のこと、何も知らされず、ただ待てとは余りにも理不尽ではないか」
 ラハトハスは思わず声を荒げかけたのをぐっと押さえ、紫色の猫に静かに尋ねました。
「私とて、すべてを知っているわけではないのです。私に言えることはただ、神の娘ニーロニィは人界におられ、その御身に不幸の降りかかったご様子で、しかしお怪我をなさるか、御身を病むかしていらっしゃるようにはお見受けしない、ということくらい。我らの『窓』は、あくまで人界の精霊たちの動きを知り、ひいては天候を司る為のもの。まして我らは神でなく、従者に過ぎません。全知ではないのです。お分かりいただけましょうか、白狼ラハトハス」
 神の娘の忠実なる僕は、眉間に皺を寄せてその言葉を聞きました。それから少々の沈黙の後、
「……失礼した。我が主の身を案ずる余り、少々取り乱していたようだ。非礼をお詫びする」
と、頭を下げました。
「いいえ、謝罪には及びません。心中お察し致します。神の娘ニーロニィは、我ら神界に住まう者たち皆の光です。私とて多分に心を痛めているのですから。それよりも、いつお戻りになるかわかりませんから、早くご準備なさいませ」
「そうしよう」
 ラハトハスはエウィの使いに感謝の言葉を告げ、いつも通りのやや厳めしい顔をして足早に出て行きました。
「……ところで。あなたも神の娘ニーロニィにお仕えする従者のひとりでしょう」
 特別驚きもせず、慌てもしない様子が不審であると暗に言われ、プレアスタンは苦い顔で乱暴に頭を掻きました。
「うん……まあ。何が起きているかは何となく、わかるよ。ちょっと腑に落ちないけど、来るべきときが来たと言うべきか……少々、複雑な心境でね」
 ぱちりと瞬きをした紫猫は、金色の目を暗さのせいではなく丸くして、改めて目の前の青年を見ました。思わず仰け反って、やや毛の逆立った背中の辺りを忙しなく三回ほど舐めてから、再び向き直りました。
「ことの詳細を知っているのですか!」
「まあ、何となくはね。……では、俺も行くとしようか。で、夜着のままという訳にも行くまいし、着替えるけど。見物するつもりかい」
 プレアスタンがようやく床から立ち上がり、椅子の背に乱雑に掛けてあった衣服を手に取りました。しませんよ、と心底いやそうな声がするのとほぼ同時に、しなやかな身体は音もなく窓枠へと移動しました。
「あなた……事と次第によっては、彼(か)の者よりも重い罪に問われるでしょうね」
 そう残して猫はひらりと窓の向こうへと消えていきました。



 寝所に乙女がいなくても、乙女の身代わりはいるはずだということを知っている者は、このときはまだ、いませんでした。そして部屋の外で壁に凭れ、そのやり取りを聞いている人影にも、気づいた者はありませんでした。



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2011.05.23 公開