異界を渡る物語 第一章 第二十三話



 神の娘の忠実なる僕(しもべ)エルシルは、ふと眠りの淵から現へと意識が浮上するのを、夢の続きのように感じました。しかし自然と瞼が開き、身体を起こしてみると、それは夢でなく確かに現実なのでした。
 神界は青に沈んでいて、夜明けの気配などすこしも感じられませんでした。
 神界の夜は静かで、平穏で、眠りを妨げるものなど何もなく、夜明けを待たずに目覚めるなどと言うことはやたらに起こることでないので、何やら言い知れぬ胸騒ぎのようなものに駆られました。銀の髪の背高のっぽは寝台を降り上着に袖を通しました。繊細な仕草で留め具を留め、その上から白い大判の布をふわりと羽織ると、そっと部屋を出ました。右、左と廊下の様子を窺ってみましたが、ただ静かな青い夜がひたひたと神界を浸しているだけでした。
 背高のっぽは、ふむ、と左手で右肘を支え、右手の親指を唇にあてました。連なる窓から差し込んだ月明かりが長身痩躯の影をきれいに切り取っていました。思案した後、そっと歩き出しました。布製の柔らかい靴は空気を乱すことなく、優しく床を捉えました。日頃からたおやかな性質(たち)の青年の足取りはそれに似つかわしく、音も立てない穏やかなものでした。
 ゆっくりと、辺りを見回しながら歩き、そのまま何事もなく次の館の玄関まで辿り着きました。そこで引き返すことも出来ましたが、銀の従者はまだ歩を進めました。次の館から、二の庭を通って白の館へ渡る、美しい細工を惜しみなく施した渡り廊下を、静寂を聞きながら歩みました。二の庭の木々や花々も、月明かりを掛け布にしてそっと眠りを楽しんでいました。その様にそっと視線を滑らせて、更に先へと向かいました。
 白の館へ足を踏み入れると、ふと、空気が動いているのに気がつきました。ほんの微かな、いっそ予感と表現しても差し支えない程に微かなそれは、しかし確かに何者かの活動している気配でした。この清らなる神界において、まさか盗人でもあるまいし、一体何事であろうとその気配の方へ向かいました。
 辿り着こうとしているのは、どうやら神の娘の私室でした。背高のっぽはまさか主の身に一大事でもあるのかと、途端に肝が冷えて、足を速めました。賊の侵入、急な病、怪我や病など、有り得ないはずの凶事がやにわに脳裏を過ぎり、自然唇が引き結ばれました。
 静寂の廊下の先に、主の私室から出てきた人物を見、青年ははっとしました。
「ラハトハス」
 決して大きな呼びかけではありませんでしたが、青く染まった空気は楽器のようにその名の持ち主へと声を届けました。
「エルシルか」
 白狼が訪問者に顔を向け、立ち止まりました。背高のっぽは少々遠い距離を足早に歩み寄りました。夜の色に浸されて青い陰影を帯びた、背の高いふたつの影が並びました。
「胸騒ぎに駆られ、様子を見に参ったのですが。どうなすったのです、このような時分に。もしや我らが主の身に、何か」
 常であればふわりと柔らかい、口どけの良い菓子のようなその声が、このときばかりはやや硬質な響きを持っていました。
 ラハトハスは苦い表情で「ああ」と、肯定の返事とも溜め息ともつかない声を落としました。
「他に起きだした者は」
「いえ、見かけませんでした」
 そうかと呟いて、従者筆頭は重い口を開きました。
「主ニーロニィは、いま、この館には居られない」
「何ですって!」
「詳しいことは私もまだ聞き及んでいないが、人界で、風の御方をはじめ幾人かの神々がご一緒らしい。間もなく戻られるだろうとの報せがあった。私と、共にその報せを聞いたプレアスタンとで、主をお迎えする準備を整えているところだ。他の者には一切知らせていない。事を荒立てたくない」
 エルシルは、なんということだ、と声に出さずに呟いてから、助力を願い出ました。
「お怪我やご病気は」
「そのような話は聞いていない」
「何よりです。しかしこの夜分に、人界からお戻りになると言うのなら、ただ事ではないのでしょう。お身体がご無事でも、お心が安らかであるかどうか……どちらもご無事で戻られることを祈るばかりですが。お心を鎮める甘く温かい飲み物に、清潔な衣装、柔らかな夜具、それに念を入れて薬酒でしょうね」
「では蜜茶と薬酒を頼みたい」
 薬酒とは神々を癒す万能薬のようなものでした。神々は傷を負っても病を得ても、あるいは気付けにも、様々の花や実や草などの香りの良い酒を口にするのでした。尤も、怪我や病などによほど縁遠い神々が日ごろ口にするのは戯れに嗜む甘い蜜酒ばかりで、薬酒の出番は殆どありませんでしたが、書庫を預かるエルシルはその方面にも長じており、滅多に出番のない薬酒の調合にも信頼が置けました。
「心得ました。薬酒はわたくしが。そして蜜茶は彼に頼むとしましょうか」
 彼、と言って背高のっぽが示した先を白狼が目で追うと、廊下の向こうに佇む小柄な人影がありました。
「あの子もまた、何か感じたようですね」
 エルシルがあの子、と呼んだのは、黄金竜ファルニエルでした。まだ幼い少年はふたりの姿を見つけると、逡巡するような仕草を見せた後、思い切ったように歩きだしました。ひんやりとした床を靴の底で僅かに鳴らしながらふたりの目の前までやってくると、緊張していますと言わんばかり、ぎくしゃくと礼をしました。
「───このよう……な刻限に出歩いて、申し訳ありません」
 自分の思っていたよりずっと声が響いたことに驚き、更に大声が好ましくないことを目の前のふたりの表情から察したファルニエルは、顔を真っ赤にして途中から不自然に声を落としました。
「その、何故か目がさめてしまって、どうにも落ち着かなかったのです。何か起こっているような、そんな予感がしたのです」
 ファルニエルは手指を組んで、どこか怯えるような態度で上目遣いに二人を見上げました。
「おふたりとも、何故こちらにいらっしゃるのですか。僕はそれを尋ねても良いのでしょうか。それとも、ここでおふたりにお会いしたのは夢の一幕で、明日の目覚めとともに忘れることなのでしょうか。その……もしも、おふたりが夢だとおっしゃるのなら、僕はいま、夢を見ているに違いないのですが」
 青年らは互いに相手の顔を伺いました。ラハトハスは難しい顔をしましたが、物言いたげな顔の司書長と謙虚に言葉を待つ少年とを見比べたのち、「いや、夢ではない」と静かに言いました。
「……だそうです。さあ、では手を貸してください。話はわたくしから致しましょう。構いませんね、ラハトハス」
「そうしてもらおう」
 背高のっぽは少年の背に片手を添えて促しながら、目と目で白狼と何事かやりとりしました。少年はそれに気付くと、どこか不安げな素振りを見せました。
「行きましょうか」
「あの……」
 歩き出したエルシルの隣よりもすこし後ろの位置を保ってついていきながら、ファルニエルは声をかけました。
「その、本当に僕の関わって良いことなのですか」
「ええ。白狼殿が夢でないと言っておられたでしょう。わたくしも同じ意見です。つまり、あなたは聡い子ですから、この件に関わったとしても、いたずらに問題を大きくするようなことはないであろうと。自ら夢などと言い出すくらいですからね」
 少年は黙ったまま先を聞きました。しんとした中での会話は自然、平素より声が抑えられていましたが、それでもどこまでも声が響いていくような気がして、ひどく怖いような気持ちになるのでした。
「さて、何が起きているのかという話ですが。実のところ、わたくしもまだ詳しくは知りません。それは白狼殿も同じことのようです。わかっているのは、我らの主ニーロニィが……人界におられ、間もなく帰還されるであろうということだけです」
 人界という言葉を口に上らせる際、ゆったりとした調子を更にすこしだけ緩めました。少年はそれが自分への配慮だと悟り、思わずハッと目を見開いたものの、叫び声などあげる羽目にならず済んだことを感謝しました。
「人界に……?でも、人界だなんて、何故……あの、まさか、主の御身に何か……」
「お怪我をされたとは伝え聞いていないそうです。神々もついていらっしゃるので、心配は無用だと思うのですが、念には念を入れましょう。我らの心の安定の為にもね。そういうわけで、わたくしは薬酒を、あなたには蜜茶の準備をお願いしようと思いまして」
「はい」
「ラハトハスとプレアスタンが、お召し物と夜具の用意を整えているはずです。思いつく限りのことを準備しておくべきかと思うのですが、あなたなら他に何を?」
 薬酒に蜜茶と聞いて、向かう先に見当のついた少年は、いくらか遠慮がちでなくなった歩調で背高のっぽに続きながら、「僕なら、」と進言しました。
「水浴の用意を整えます。主のお好みの香り草や、花など浮かべて……何があったのか存じませんが、すこしでもお心が休まるように」
 エルシルは笑みを深めました。
「それはいい。薬酒と一緒に、香り草と花も用意しましょう。きっと主のお心も癒される」
「……司書長エルシル。主がこのような時分に人界におられると聞いて、不安でないのですか」
 楽しいことでも思いついたような顔で言うエルシルに、ファルニエルは思わず尋ねました。
「そうですね。不安で、心配で、たまりませんが……主が此処に戻られたとき、そのお心が傷ついていることが、何よりも一番心配なのです。それを和らげる為に出来ることがあるのならば、落ち込んでいるよりも働いている方が、少しは安心できます」
 エルシルの持つ柔らかさにほんの少し陰りの色が混じった気がして、ファルニエルはハッとしました。
「それに悲嘆ばかりしていては、心を落っことしてしまいます。いったん心を落っことすと、拾い上げるのは存外難しいものです。そんな有り様で主をお迎えすることは出来ません。主の御身に何が降りかかったのかわかりませんが、この白の館に戻られたからにはもう何も案ずることはないのだと、わたくしは微笑を持ってお迎えしたい」
 金の髪の少年は銀色の髪の背高のっぽを見上げて、眩しげに目を細めました。エルシルはファルニエルの視線に気づくと目を合わせ、淡く微笑みました。
「さあ、着きました。あなたは蜜茶の用意を、わたくしは薬酒を。それから二人で、水浴のための花を選びましょう」
 はい、と小さく返事をしたファルニエルの顔色の悪さを、夜の青が隠してくれていました。
 真夜中に棚の中を探るなど滅多なことではない経験でしたが、神界の月の灯りは白の従者にとても親切でした。普段よりも慎重に働こうと努めるふたりの目は、様々な瓶の帯に書かれた文字を、月の助けを得てひとつひとつ追いかけていきました。
「彼らは、」
 不意にエルシルが言葉を漏らしました。
「今頃、どうしているでしょうね」
 作業の手を止めたファルニエルに、あのふたりですよ、ラハトハスとプレアスタンです、と、長い指で文字を辿りながらエルシルは続けました。
 ファルニエルの掌に、じわっと汗が滲みました。ラハトハスとプレアスタン───他の者からしてみれば、奇異なものに映るだろうと思われる組み合わせでした。厳格を絵に描いたような白の従者筆頭と、お調子者のお祭り男。そして、従者筆頭がお調子者をあまり良くは思っていないのは、傍目にも見て取れるのだから。しかし、
「どう、とは……」
 今のファルニエルには、奇異どころか、この上なく必然性を感じざるを得ない組み合わせに他なりませんでした。それを引き合いに出されて、ファルニエルは緊張しました。もしかしたら、エルシルは何か知っているのだろうか、気づいているのだろうか?
「その……夜具を、整えておられるのでは……」
「ええ、そうなのでしょうけれど。どうも、あのふたりは日頃から反りの合わないところがあるようでしたから、いったいどんな顔で一緒にいるのかと」
「白狼殿のことはわかりませんが……プレアスタンは、きっと……」
 ファルニエルの脳裏を、これまでに見てきたプレアスタンの表情が過ぎりました。単に騒ぎ好きの明るい青年だと思って遠巻きになんとなくその存在を見ていた頃からは想像もつかないような、笑っているようでそうでない顔───実際に目で見た訳でなくても、懲罰室の暗闇の中で感じた、恐ろしげな獣の表情───。
 呟いて、どこともつかぬ場所に視線をやったファルニエルに、エルシルも手を止めました。
「意外ですね。プレアスタンと、そんなに懇意にしていましたか」
「!」
 ファルニエルが身を硬くしたのを、エルシルは見逃しませんでした。
「どんな顔を思い浮かべたかはわかりませんが、それを想像できるほど、あなたはプレアスタンと近しいのですね、ファルニエル?知りませんでした。いつの間にそんなに親密になったのか、お聞きしても?」
「いえ……僕は……その。ただ、そう、白の書の件で、すこし……」
「ああ。確か、あの件の一冊は、プレアスタンの手に渡っていたのでしたね」
 ファルニエルの唇が震えました。
 闇夜のせいだけでなく青白い顔が、エルシルに向けられていました。
 エルシルはそのまま黙って、じっと、ファルニエルを見つめました。
 二対の宝石が互いを捉えました。しかし菫青石の濡れた輝きは忙しなく揺れ、しかし橄欖石はただ静かに光りました。
「ああ、エルシル!僕は……!」
 ついにファルニエルは、
「本当は、ずっと、お話したかったのです!」
 抱えていたものの全てを吐露することを選びました。
 一言目を発してしまえばあとは塞きを切ったようで、己の身に降り懸かった出来事、そしてそれらから想起されたことを一から十まで打ち明けてしまいました。
「つまり……プレアスタンが、神の娘に禁忌を教え、それを侵させるよう企てた……と……?」
 エルシルは絶句しました。まだ幼いファルニエルが、内容にまで思い至らないまでも白の書に隠された禁忌の存在に気づいたことは驚嘆に値しました。が、更に、この黄金竜の子の話を鵜呑みにするならば、プレアスタンのしようとしたことはエルシルやラハトハスの想像の範疇をとっくに越えていて、ことの大きさときたら白の館の一従者の問題ではとても済まされないのでした。
「よく話してくれました。しかし……」
 エルシルは長い指を唇に当てて、整った眉を寄せました。
 ファルニエルの言い分は的を射ており非常に納得しやすいように思われました。エルシルの知り得たこれまでの事とも符丁が合うように思われました。しかし、だとすると何故いま神の娘が人界におられるのか、その説明にはならないのでした。
「ああ、見つけた!」
 その時、噂をすれば影とばかり、お祭りプレアスタンその人が足音も荒く現れました。
「先触れが届いた。間もなくお戻りになる。……何してんだ、ファルニエル?」
 小さな身体を更に小さく竦みあがらせて、香り草の瓶を抱きしめ硬直している黄金竜の子に、闖入者は不思議な顔をしました。
「あなたが賑やかなので驚かせたのですよ。ただでさえ、不測の事態のただ中なのですから」
 司書長は何食わぬ顔でファルニエルに歩み寄ると、がちがちのその手から瓶を取り、代わりに棚からひとつ、ふたつ小さな瓶を選んで持たせました。
「香り草はこれで良いでしょう。ファルニエル、先にお行きなさい。わたくしは、薬酒の用意をもう少し」
 はい、と返事するのも上手くいかないという体で、ファルニエルはぎこちなく頷き廊下へと出て行きました。
 気配が遠ざかると、徐にプレアスタンが口を開きました。
「で?内緒話は終わったのかい?」
「ええ、終わりましたよ。けれど、今度はあなたとお話しなければ」
「おっと、それは後にしてくれなくちゃ!じきに主がお戻りになる」
「そういう訳には参りません。わざわざファルニエルが話すのを待っていたのは理由あってのことでしょう」
 ばれたか、とプレアスタンは、へらりと笑いました。
「あいつがどんな憶測したのか知りたかっただけさ」
「わたくしは、あの子が嘘を言うとは思いません。けれど、あなたがあの子の言うような大それたことをするような者だとも信じられないのです。プレアスタン、知って、どうだったのです?あの子の考えは、真実と比べて?」
 プレアスタンは答えず、香り草の棚を眺め、手にとって弄びました。
「……まあ、別にどう思われててもいいんだけどねぇ、あいつにもあんたにもさ。それにしたって司書長、あんたは人が良いというか何というか。馬鹿だよな」
 ちらりとエルシルの顔を見て、プレアスタンは嘲るように唇の端を上げました。
「さすが、お優しいねえ!あっちもこっちも善人だらけだと思ってるんだろう……そりゃそうか、ここは神界だ。けど、おあいにくさま!俺は神界の不純物、失敗作、お祭りプレアスタンだよ」
「プレアスタン」
「行こうか。本当に、そろそろお着きになるはずだ」
「プレアスタン!」
 瓶を置いて部屋を出ようとするプレアスタンを強く呼び止めて、エルシルはその瞳を悲しげに鋭くしました。
「それが本当ならば―――許されないことです。神にも、神の娘にも、そしてラハトハスやわたくしにも」
 プレアスタンは振り返らずに足だけ止めたまま、
「神とあんたはいい。勿論、主ニーロニィも。でもラハトハスは……許すの許さないの言えた立場かどうか、怪しいもんだね」
 と、冷めた声色で言いました。
「どういう意味です?」
「(どうやらファルニエルじゃないからだよ)……行こう」
 いったい何が、ファルニエルでない、のか、呟きの意味がエルシルにはわかりませんでした。
 ひどく気になりましたが、やはり今はぐずぐずしている時でもなく、急いで薬酒の用意を整えてプレアスタンの後を追いました。



 神の娘は美の神パシュミアとその従者たちに付き添われて白の館へ帰還しました。
 美の神パシュミアの従者たちは、見目麗しい女たちで、きらきらする衣の上に夜色の外套を重ねて輝きを隠していました。その女たちに守られるように、包まれるようにして、美の神は夜空の衣の中に乙女を抱きかかえていました。乙女は腕の中でじっとして瞳を閉じていました。
「さあ、あなたの館へ戻りました。私たちの大切な乙女!あなたを慕う者たちが、ほら、あなたの帰りを迎えている」
 美の神に優しく囁きかけられて、乙女はゆっくりと瞳を開き、重い動きで顔を上げました。さっと音もなく左右に割れた美の従者たちの向こうに、見知った姿が礼をして控えているのを見つけ、力ない表情を更に儚げにしました。
「おかえり、我が主ニーロニィ」
 真っ先に顔を上げて声を発したのはプレアスタンでした。美の神の手前、許しを得るまでは動けないと思っていたラハトハスは、はっとして驚きと非難の目でプレアスタンを見ました。しかし、
「プレアスタン……!」
 消え入りそうな声で彼の者を呼んだ乙女が、美の従者の腕から抜け出して、親に縋る子猫のようにその懐に飛び込んだのを見て、更に言葉を失いました。
「おかえり。大丈夫だよ。心配ない」
「プレアスタン、わたし、こんなつもりではなかったの、こんなつもりではなかったの!」
「ああ、そうだね。そうだったんだよな?俺はわかってるよ。ちゃんとわかってるから。それに、ほら、みんな帰りを待っていたよ」
 やんわりと顔を上げさせて、周りに他の三人がいることを見せてやると、乙女は目を細めました。
「ラハトハス、わたしの白狼」
 プレアスタンの腕の中からラハトハスの逞しい胸へと移り、ぎゅっと、しがみつきました。白狼は瞼を震わせて目を閉じ、ぐっと奥歯を噛み締めて天を仰ぎました。そしてゆっくりと息を吐き、乙女を包みました。
「…………もう何も仰いますな。このラハトハス、例え何が起きようとも、いついかなるときにあっても、ただ、貴女様のためだけに。この者たちも同じ気持ちでおります」
「ええ。我が主ニーロニィ、ラハトハスとプレアスタンが夜具を整えました。ファルニエルは湯浴みの花と香り草をご用意致しましたよ。そして、わたくしは薬酒を」
 従者たちに身を預け、白の乙女が安堵の息をついたのを見届けると、美の神パシュミアは優雅な仕草で手を上げ自身の従者たちを下がらせました。
「我らの愛し子、ゆっくりとお休みなさい。そして明日、再び見えましょう、神の御前にて真実を明らかにするために。貴女の心が安らかにあらんことを。白の従者たち、頼みましたよ」
 必要とあらば女たちを世話役に自身も白の館で一夜を過ごそうと思っていた美の神でしたが、必要ないと判断すると、夜空を美しく翻して去ってゆきました。
 四人の従者たちはその姿に頭を垂れました。
「さあ、参りましょう」
 ラハトハスが乙女をそっと抱き上げて私室へ向かい、三人の従者たちがそれに続きました。
 乙女はひとり、爽やかな香気の湯を浴び、柔らかく温かな夜着に袖を通しました。従者たちが用意を整えた蜜茶や薬酒の中から、ただ水を一杯所望しました。
「明日、」
 ゆっくりと喉を通らせてから、乙女は呟きました。
「神の御前に召されました」



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2011.05.23 公開