異界を渡る物語 第一章 第二十五話



「その……知の神クレイスニルの館へ赴いた時、二通の封書を預かりました。一通は顧問官リンダールへ宛てたもので……も、もう一通は、調べる内容が記してあるから、生ける書の間へ入ってから開けるようにと……。生ける書の間で開封したら、中からは二枚手紙が出てきて」
「調べ物の手掛かりを記した紙と、俺からファルニエルへの脅迫状ですよ」
 内容はこうでした。


ファルニエル
お前が気づいたものを、俺は知っている。
それは乙女にとって最大の禁忌で、白の従者にとって最大の機密だ。
絶対に口に出してはならないことだ。
なのにお前は迂闊にも、あんな書き付けをして、人目に触れさせるところだったんだ。
残念だがお前の失敗は、単なる書き損じで済まされることではない。
このことが何者かに知れれば、どうなるか、(そういう意味では、司書に気づかれないまま製本されて俺の手に渡ったのは、結果として幸運だったな!)お前には想像がつかないだろうが、俺にはわかる。
詳しくは説明しないが、我らが乙女の御身に大変なことが起きるとだけ言っておく。
お前のことだから勘付いているだろう、乙女には既にその兆候がある。
さて、この手紙を、絶対にお前ひとりで読むことが出来るように舞台を用意したから、いま、盗み見るようなことが出来る奴はいないはずだ。
その通りになっているだろう?
乙女の御身と名誉を守りたいなら、この先も、何かあれば俺に任せて従うように。
そうすれば良いように取り計らうから。
だが、もしもお前が俺についてこず、このことを口外するような場合、お前のせいで乙女がどうなっても仕方がないだろう。
そうしたくないなら、ラハトハスをはじめ白衣の者にも、絶対に相談するな。
逆に、その手で乙女を奈落へ突き落としたいなら、好きに話せばいい。
その時はもう、誰にも、何も、為す術がないのだから、実質お前が乙女の行く末を握っていることになるな。
もう少し言うと、俺もまた乙女の行く末を握る者のひとりなんでね、もしも約束するつもりがないと判断できるときは、相応の手段を取らせてもらうつもりだ。
内容を暈して相談しようとか、思うなよ。
乙女だけでなく、仲良しの坊やや、敬愛する白い衣の方たちに何かあったら、哀しいだろう?
可哀想なファルニエル、お前はほんの少し頭が良く、ほんの少し間が悪かっただけだが、後戻りは出来ないんだ。
お前自身も白の従者として名を連ねて居たかったら、この手紙を肌身離さず常に持ち歩くこと。
間違っても相部屋の坊やあたりに見つけられたりしないように。
言うまでもないだろうが、深追いして調べようなんてもっての外だ。
お前が疑問に思ったことなら、誰しもに、いずれ答えが示されるんだから。
何故このお祭りプレアスタンがそんなことを言うのか、不思議に思うだろうな。
これも詳しくは説明しない。
ただ、ほんの手掛かりをやるとすれば、繰り返すが、お前が気づいたものを俺は知っている。
それは乙女にとって最大の禁忌で、白の従者にとって最大の機密だ。
そして俺の出生についての噂はお前も知るところだろう。
まあ、俺としては、これ以上深く考えないことをお勧めするね!
なお、今回調べた内容も、絶対に誰にも話してはいけない。
結果を記したものを見られてもいけない。
露見した場合にどうなるかは、もうわかると思う。
是非とも乙女を守って欲しい。
くれぐれも仕事をしくじらないように頼む。
最後にもう一度。
お前が黙っていさえすれば、神の娘ニーロニィを守れる。
それが乙女のためだ。
黄金竜ファルニエルが、真実、白の従者であることを信じているよ。
プレアスタン


 なるほどそれは、真っ当な白の従者であれば、絶対に逆らえない類の文句でした。白の乙女の御身に関わるとあれば、是も非もありませんでした。
「状況から鑑みるに、その内容は嘘ではない。黄金竜ファルニエルが他言した時点で、ことは公になり、乙女は多くのものを失ったであろう。しかし、実際は既に水面下で事件が起きていた。遅かれ早かれ、露見すれば結果は同じ。先延ばしにしようと画策することは、より罪を深く大きなものに育てるのと同じこと」
 ヴィーギルの言葉に、その通りです、と、プレアスタンは頷きました。
 乙女は愕然としました。まさか、自分の知らないところで、そんな手紙が書かれていたなど!
「ファルニエルは俺の脅迫に従わざるを得ず、だから懲罰室云々の騒ぎになったときも、本当のことを言えなかった。ただの書き損じではなかったということも、俺がらみで何か起きている心当たりがあることも。……ああ、でも、彼は口にする言葉を選んだだけで、嘘はついていませんけどね」
 そのくだりを聞きながら、エルシルが何かに思い当たったように唇に指を当てていました。
「ファルニエルよ。そなたにも話を聞こう」
「僕……僕は……何をどう、お話していいか……」
「ありのままを話せば良い」
 しどろもどろではあるものの、ファルニエルの口から、もう一度、一連の出来事が語られました。異なる視点から説明されることで、より真実に近い形が見えてきました。
「つまり、そなたはプレアスタンを疑っていたのだな?」
「その通りです……ぼ、僕は、プレアスタンが───その……主に……何らかの形で、影響を与えているのかも知れないと……」
「影響とは?」
「内容はわかりません。でも、プレアスタンの言う『乙女にとって最大の禁忌』というのを、もしや他ならぬプレアスタンが、乙女に……と……」
「いつからそう思ったか」
「手紙を見たときから、たぶん、なんとなく思っていました。でも、主の側付きにと召された時に、主とプレアスタンの話しておられるのを聞いて、強くそう思いました」
 ここで、ファルニエルが急に側付きにと召された経緯も説明されました。
 乙女ははっとしました。
「それは、わたしではなく……もうひとりのわたし、が、したことです……」
 ことの収拾はすべて、身代わりの新しい乙女に任せて放り出していたので、そういった手段がとられていたことを、ここへきて初めて知ったのでした。
 乙女は、神界を捨て人界に生きようと思ったこと、けれど神の娘が行方知れずになれば大騒ぎになってしまうと恐れたこと、そのため、皆がそうと望むような、理想のままの白の乙女を創り出し、代わりに白の館へ置いていけば、何もかも丸く収まるだろうと考えたことを説明しました。
 たった一夜で明らかに態度の変わった乙女に違和感を覚えていた渦中の従者たちは、それを聞いて納得しました。別人のようになったのでなく、本当に別人だったのでした。
「して、話を戻すが、ファルニエル。そなたはその推測を誰かに話したか」
「……事件の夜、主のご帰還を待つとき、白の館の司書長エルシルに」
「手紙を見てそう感じていたのなら、何故、それまで誰にも話さなかった?」
「怖かったからです。確信はなかったし、プレアスタンのことも、乙女を傷つけることも、怖くて……。それに、わからないこともあったのです、つまり、知の館での調べものが何を意味するのか、何故それを隠すのか……だから、僕の憶測は的外れなのかもしれないと、そんなことはまったく考え過ぎなのかも知れないと、そういう期待も捨てきれず……」
 そして謎は奇しくもこの場で解けたのでした。
「司書長エルシル。そなたにも話を聞かねばなるまい。ファルニエルに話を聞き、そなたは何を思ったか」
「話を聞く限りでは、筋も通っており、ファルニエルの推測は的を射ているように思えましたが……それでもまだ、わたくしにはプレアスタンを悪と決め付けることは出来ませんでした」
 それは何故か、と問われ、エルシルは己の気持ちを確かめるように、胸に手を当てました。
「プレアスタン本人の口から、そうと聞くまでは、信じたくなかったのかも知れません。わたくしは、お祭りプレアスタンの人となりを、悪いものと思ったことはありませんでしたから。そして、プレアスタンが邪悪なる目論見のために乙女を悪しき道へ導いたというのなら、怒りも湧こうというものですが、わたくしは今、彼の主張を聞いて、それを退けるような力ある言葉も、考えも、持ち得ません。先ほどからの彼の言う内容は、衝撃的で、しかも冒涜的であったと言わざるを得ないでしょうが、それでも、わたくしには反論が叶いません。他の方々も、同じなのでは」
 その声は落ち着いて、聴く者の胸にすっと染み渡るようでした。
「乙女が罪を犯しました、人の子が罪を犯しました、プレアスタンも罪を犯しました。乙女には意思があり、人の子には欲があり、プレアスタンには意図がありました。最も重く裁かれるのはプレアスタンかも知れません。しかし、三者のうち何者かを有罪とするなら、等しく全員を有罪にせねば、裁きの神聖は保たれないでしょう」
「ちょ、ちょっと待てって!」
 慌てたのはプレアスタンでした。
「いいですか?例えば、だ───ある人物が、別の人物に強い負の感情を抱いた。どうにも憎くて、恨めしくて、許せない。その時点では、ただ憎いってだけで、相手をどうこうするつもりはなかった。そこへ第三者が出てきて、そいつの手にわざわざ刃を握らせ、言葉巧みにその気にさせて、相手のもとへ向かうよう仕組んだ。結果、そいつは相手を殺してしまった。この場合、本当に悪いのは誰だ?今している話ってのは、つまり、そういうことなんですよ!悪いのは、どう考えたって、決まってるでしょうが」
「殺した人よ。何を言われても、その気になんてならなければ良かったのです」
 乙女が言いました。
「殺された人物こそ、そもそも憎しみを買うようなことをするべきでなかった」
 人の子が続けました。
「こらこらこら……!あんたたちは黙っててくれ!ああもう、ややっこしくなる……」
 思惑が外れて、プレアスタンは苛立たしげに首の後ろを引っ掻きました。
「……いかがでしょう、審理の神ヴィーギル。わたくしは、この件について、この場で即座に判決を下すべきものではないと考えます。もはや掟を破ったなどという単純な事件ではないことが発覚したのですから、罪状から改めなければなりませんでしょう。わたくし白の従者エルシルは、再度の審議を提案いたします」
「うむ。だが結論を急ぐ前に、いまひとつ───プレアスタンよ、訊きたいことがある。先ほどから、ある疑問が解決せぬ」
 そなたの目的だ、と、ヴィーギルは言いました。
「そなたが乙女をけしかけたという、その理由は理解に足る。しかし、肝心の目的がわからぬ。そなたは乙女の恋の果てに、何を求めた?どういう結果になれば、満足だったのだ?まさか、人界の災厄を予想していたわけでもあるまい」
「そりゃそうです。この結果は予想外でしたよ。別に人界に打撃を与えたかったわけじゃあないし、乙女を破滅させたかったわけでもないんですが……」
 プレアスタンは、この法廷に立って初めて、歯切れの悪い答えをしました。
「いや、まさか、乙女が神の名を捨てて地上に生きようとなさるなんて、そこまでは考えていませんでした。引き際は心得ていたつもりでしたが、思うようには止められなかった。結局、俺も、恋ってやつをわかってなかったってことでしょうが……」
「悲劇の前に、止めるつもりがあったというのだな?」
「まあ……しかし、悲劇ってのも、何があるとわかっていたわけじゃあないし……つまり、ことが露見する前にほどほどで止めようと思っていた、の、かなあ……?」
 そこまで言うと、深刻に考えるような仕草をしました。
「……正直に言って、目的が何だったのか、と言われると、曖昧にしか答えられません。ヴィーギルの仰る表現は的確です。理由は散々語った通りなんですけどね。何を目指していたかと言われると、ちょっと。結局、俺自身、よくわからないんですよ。強いて言うなら、どんな結果になるか見たかった……つまり、何も目指していたわけじゃないってことになりますが。それより……」
 言葉を選んでいるのか、躊躇っているのか、どちらとも取れる沈黙のあと、プレアスタンは真っ直ぐに顔を上げました。
「どうしても、そうしなければいけないような、そういう気が───強い強い、運命の予感が、あったんです」
「運命の、予感……?」
 乙女は思わず、声に出してそれを繰り返しました。強い、力ある言葉でした。
 誰も戸惑いを覚えたそのとき、乙女が唐突にハッと顔を上げ、天井を見上げました。
 それに気づいた者が何事かと続いて天井を見上げたとき、それは起こりました。
 前触れも無く音のない音が響き渡りました。
「!」
 黄金で拵えた巨大な鐘を天空で打ち鳴らしたような、下腹を震わす見えない波が、身体ごと魂を揺さぶって突き抜けてゆきました。
 突風に吹き飛ばされたように感じた者、大津波に襲われたように感じた者、またそれらの幻さえ見た者もいました。
「ああっ!」
 強烈な光が弾けました。
 神々でさえも声を上げ、従者たちは咄嗟に腕で顔を庇ったり、椅子から転げ落ちる者もありました。
 目にすることの出来ない光の中に、何か途轍もなく凄まじいもの、どうあっても絶対に自分の手には負えない、矢も楯も取らずひれ伏さずにはおれない、計り知れない何かがあるという絶対的な確信が心を支配しました。己の生命が曝け出されたような、不安とも恐怖とも快感ともつかない強烈な高揚感が迸りました。
 神の、存在感でした。
 姿こそお見せでないものの、始まりの神がそこに降りたもうたのだということを、誰もが悟りました。
 しかし───。
 光が収まり、恐る恐る目を開いた者たちが見たのは、
「ごきげんよう」
 神ではなく、
「はじめまして、おねえさま」
 神の娘、の、姿でした。
 ───被告席の先、乙女とルーウルアウドを見下ろして中空に佇んだ、もうひとりの神の娘ニーロニィが、ふわり、と、微笑みました。



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2011.05.23 公開