賢いオロエン 2



 ある日、オロエンは少々珍しい大きな音を聞きました。
 小魚たちの群れは、急に逆向きの突風が吹いた旗のように、あっという間に翻ってどこかへ消えましたが、オロエンは機敏な動きが得意でありませんでした。
 竜魚には堅くて丈夫な強い鱗がありましたから、よほどのことでない限り、急いで逃げるような機会はないのです。
 そういう訳で、オロエンは一体何があったのかと、半ば悠長に音のした方を見上げました。
 白い泡が沢山、底でない方へ大慌てで逃げていく途中でしたが、それがすっかり終わると、そこには見たこともない大きな魚影がありました。
 オロエンは自分よりも大きな魚を初めて見たと思いました(オロエンは竜魚の中では少々小柄で、このお池には今、他に竜魚はいません)。
 しかしそれは間違いであると、間もなく気付きました。
 その影は魚ではありませんでした。
 確かに泳いでいますが、どうも身体の形が違うのです。
 ムーヴンだ、とオロエンは思いました。
 オロエンは賢い魚なので、ムーヴンという生き物のことを多少知っていました。
 どこで知ったのかは思い出せないけれど、間違いありませんでした。 しかし、見たのは初めてでした。
 そのムーヴンは境目の膜を突き破ったりまた戻ったりしながら、悠々と身体をくねらせていました。
 オロエンはほんの少し考えた後、ゆっくりそろそろと、少しだけそちらに近寄ってみました。
 そして思わず、身体中のひれを小刻みに震わせました。
 頭から生えた金茶の、藻の様で藻よりもずっと美しく長いものは、ムーヴンの動きに合わせて孕んだ宝玉を振り撒きながら流れ、腹の少し上についている二つの丸みを帯びた膨らみも、やわやわと不思議に形を変えていました。
 また、頭と同じ藻のような藻でないものは、身体の中央の不可解な窪みの下にもあり、そこから先は尾が二つにわかれていて、ムーヴンはそれを交互に動かして泳いでいました。
 ああ、そうだ、あれはムーヴンの雌だと、オロエンは不意に悟りました。
 誰に教わったものかわからないけれど、確かにオロエンはそれを知っていました。
 あるいはオロエンの、会ったこともない祖先が、それを知っていたのかもしれませんでした。
 オロエンは見入りました。
 ムーヴンの身体はオロエンのように鎧に覆われてはおらず、かといって巻貝たちの殻から覗く足ほど軟でもないようでした。
 身体から横へ生えている長いものは、中ほどで折れ曲がり、更に先は五本に枝分かれして、こんなにもグロテスクな形であるのに、オロエンは嫌悪感を抱かず、むしろもっと近くで見てみたいとすら思うのでした。
 オロエンの身体は感動で満たされました。
 ムーヴンがこんなにも美しいものとは今まで知らなかったのです。
 程なくしてそのムーヴンは、膜の向うへと去っていきました。
 しばらくすると小魚たちもどこからか戻ってきて、再びそこはひんやりと静かになりました。



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2004.09.25 公開