悪魔の王様 8
「これは篭ではありません。檻です。わたしたちは自分で入ったのではありません。入れられました」
彼はなんだかよくわかりませんでした。
「入れられたの。誰に。なんのため」
わからなかったので、尋ねることにしました。
「そのまえに、ひとつ教えてください。さっき、食べ物を残しておいて欲しかったと言いましたか」
「言ったよ。だっておなかが空いているんだから。食べたかったのに」
それを聞くと、ひとりは少し黙りました。
何かを思案しているようでした。
彼は黙ってそれを見ていました。
横に並んだもうひとりも黙ってそれを見ていました。
彼は次の言葉を待っているあいだ、もうひとりの方が少しだけ最初のひとりよりも大きいなぁなどと、ぼんやり思っていました。
しばらくして、ひとりは意を決したように言いました。
「お願いがあります。わたしたちは檻から出たいと思っています。ここに来るつもりでなかったのに、無理やり連れてこられたので、家に帰りたいのです。手伝ってもらえませんか」
「そうなの。ひどいね。いいよ、手伝うってどうしたらいいの」
「檻を壊せば出られます」
「うん。なら壊すね。危ないからちょっと退いてて」
彼は足先を伸ばし、なんとか探って格子の間にねじ入れると、ぐにゃりとそれを曲げました。
造作もないことでした。
「壊れた。これでいいの」
「ええ。充分です。ありがとう。さあ」
ひとりが礼を言い、小さいものたちに声をかけると、もうひとりが手で、行け、行けと合図をしました。
すると小さいものたちは急に忙しなく動き始め、壊れたところから次々に外へ出て、どこかへ走っていきました。
最後にふたりも外へ出ると、向き合って何事かひそひそと話し合いました。
そして、一度身体をひっつけあったかと思うと、少し大きいほうは名残惜しげに後退りして、それから皆のあとを追って走っていきました。
彼と、最初のひとりがそこに残りました。
ひとりは彼に向き直りました。
そして言いました。
「ねえ、あなたは、いままで何を食べていましたか」
「何をって、なあに。食べ物は食べ物でしょう。あれが僕の為に用意してくれるんだよ」
ひとりは深く溜め息を吐きました。
「そうですか」
そして、また黙ってしまったかと思うと、急にしくしくと泣き出したので、彼はあたふたしました。
「どうしたの、どこか痛いの」
ひとりは首を横に振りました。
「置いていかれて悲しいの」
ひとりはやっぱり首を振りました。
「なら嫌な夢を思い出したの」
同じでした。
「じゃあ何だろう。僕にはわからないよ。ねえ君、何で泣いているのかわからないけど、助けが要るなら僕が手を貸すよ。手でなくて足しかないけど、ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や…十一本もあるし、頑張れば少しくらい手の代わりだって出来るから」
彼は指差す役目をしている足を数え忘れました。
「だからどうして泣いているのか僕に教えてよ。駄目かなあ。ああ、こんなとき、あれがいたら、うまいことしてくれるだろうに。そうに違いないのになぁ。どうしよう」
彼が八つの目を宙に向け、首だか何だかわからないものをごりんと捻ると、それを見てひとりは、
「あなたは、その、あれというのが好きですか」
と訊きました。
「うん、まあね」
するとひとりは間髪を入れずに、
「わたしは嫌いです」
ときっぱり言ったので、彼は驚きました。
「えっ、どうして」
「あなたはどうして好きなのですか」
訊き返されて、彼は黙ってしまいました。
それから、ええと、ええと、と何回か口に出して、
「食事を用意してくれるからかな」
と、なんとも自信なさ気に呟きました。
「言いにくいけれど、あれの用意する食事は、ほんとうは食べてはいけないものなんです」
「ええっ!そんなばかなこと、ないよ」
彼はまさかと思いました。
「なぜですか」
「だって騙すなんて悪いことだもの」
「わたしがあれを嫌いなのは、あれが悪いことをするからですよ」
彼は仰天しました。
「あれは悪いことをするの」
「ええ」
「それって、僕は食べちゃいけないものを食べたってこと」
「そうです」
「どうして僕に食べちゃいけないものを食べさせたの」
「そうすると都合が良いからです。親切でここへ連れてきたのじゃありません。あなたが大きくて、怖いから。あれは、そういうものを探していたんです」
その言葉はどこかで聞いたことがあるように思えました。
よく思い出すと、暗闇ではじめて話をしたときに、あれがそんなことを言っていたのをうっすら覚えていたので、彼ははっとしました。
「あなたの性質(たち)を知って、あれはきっと喜んだでしょう。あなたに道理をひとつも教えなかったのですね。それはそうでしょう、そうしておけば思い通りになるのだから。あれは、あなたに優しくするふりをして、自分のいいようにしたかったんです」
「知らなかった!」
彼は足を四本使って頭を抱えました。
彼はいままでにないくらい、色んなことを考えました。
考えて考えて、そうしてようやく、
「なら、僕は王様をやめて、帰ったほうがいいね」
と言いました。
けれど、
「帰り道を覚えていますか」
「わからない。あれがこっちこっちと言う通りに来ただけだから」
すぐにそれは駄目になりました。
「あなたがその辺りをうろうろしていたら、大騒ぎになります。あなたはとても恐いから」
「そうなの。じゃあ駄目だ。どうしたらいいんだろう。もしかして僕、死んじゃわないと駄目なの。そんなの嫌だ、怖いもの。どうしよう、どうしよう」
ひとりは、彼を見上げました。
彼は大きな身体を小さくして悩んでいました。
その姿はとても哀れで、しかも少し滑稽でした。
「ねえ」
ひとりは何か考えるような仕草をしてから、彼に呼びかけました。
「あなたはもう、あれの言うことをきいてはいけません。あれの用意したものを食べたら駄目なんです。だから、今までのように食事に行こうと言われたら、断らなくちゃいけません。わかりますか」
「うん」
「あなたが言うことを聞かなくなったら、あれは怒るでしょう。でもあれがあなたを殺すことはありません。あなたが大きくて恐いからです。追い出すことも出来ないでしょう。そこで、わたしがあなたの味方になって、うまいことしようと思います。今度はあれが、思い通りにされる番です」
彼はよくわかりませんでしたが、一生懸命考えて、
「君が僕の友達になるってこと」
と訊きました。
ええ、そうです、とひとりは答えました。
「わたしが、あなたと一緒に、正しいこととそうでないことを考えます。あれが何か言っても、あなたが悪いことをさせられないように、わたしが考えます。だからふたりで頑張りましょう。その間にわたしの友達が、あなたのもといたところか、これから住めそうなところを探します。見つかったら、そこへ行きましょう。それまではここでなんとか、ふたりで暮らしましょう」
「すごい。それはいい考えだね」
彼の声がちょっぴり明るくなりました。
「うん。いい考えだ!そうしよう。君は賢いね。でも、いいの。僕は怖いんでしょう。なら君も僕が怖いでしょう。僕はちっとも知らなかったけど」
するとひとりは、
「わたしもちっとも知りませんでしたが、あなたは意外と恐くありません。さっき、足を数え間違えていましたよ。あなたの足は十二本あります」
それを聞いて彼は恥ずかしそうに笑いました。
「さあ、あなたはおなかが空いているんでしたね。辛いでしょうが少し辛抱してください。これから何を食べるか考えなくては。ああ、この壊れた檻なら食べてもいいですよ」
彼はそれを聞くや否や、ぺろりと食べてしまったので、ひとりはとても驚きました。
「これはあんまり美味しくないね。ねえ、ところで、さっきのは皆、どこへ行ったの」
ひと心地ついて、思い出したように彼が尋ねると、ひとりはとても心配そうな声で、
「どこかへ逃げたでしょう。きっと大丈夫です」
と言いました。
彼はよくわかりませんでしたが、そうっと足先で触って慰めてやりました。
とても丁寧にやったつもりなのに、ひとりはあっと声を上げて倒れてしまいました。
「わあ!撫でようと思ったの」
彼が大慌てで謝ると、ひとりは声をあげて笑いしました。
「わたしたち、頑張りましょうね」
彼はそれを聞いて、とても安心した気持ちになりました。
「さあ、相談しましょうか。まずはあなたのことを教えてください」
なんだかうまく行きそうな気がしました。
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2004.11.26 公開